無理なものを捨てるランド

無理なものを捨てて自分を大事にするブログ

優しさの在庫がなくなっても無限に甘えてこようとする人は無理

優しさの在庫はきちんと管理したい


私が持っている優しさには「在庫している量」がある

 

さらに、

・好意を持ってる人に差し出す分

・大事な友達に使う分

・見知らぬ人に、「私と人間関係を構築した場合こんな感じですよ」という

 「お試し」のつもりで、誰にでも提供している試食分

 

というように、区分して管理している

 

…という、「気持ちで」いる


たとえば、通りすがりの人に差し出す優しさの量を多くしすぎて

家族につっけんどんに応対していると

今度は自分が家族に冷たくされてしまうから困るのだ

 

そして、通りすがりの人に

「無限に優しい人」だと思われると本当に困るから

 

「無限に優しい人」の恩恵を求めている人に

何度か好かれてしまった経験から、そうするようにしてる

 

彼らは、通常の人では考えられない速さで私の優しさを消費した

試食用の優しさなので「愛想」と言い換えてもいいかな

 

愛想の在庫が尽き、私が塩対応になると

彼らはそれに憤慨する


「あなたの優しさは偽者だ」「偽善者」

 

「愛想」を喰い散らかすことで私を消耗させた人は

私の人生で3人ほどいて

全員同じことを言った

私は「無限に優しい人」ではないので、全員と人間関係を切った

 

知り合って数ヶ月の人、付き合い始めた男

友人関係を深く構築する手前の人といった感じの

それほど深い仲でもない人たち

 

彼らは、甘えをすべて受け入れてくれる母親みたいなものを

そんなに深い仲でもない「優しい人」に求めてる模様

 

この場合の「母親みたいなもの」とは

自分の整理しきれない感情や理不尽な要求を

蛇口から濃度100%でぶつけても

それを許して撫で撫でしてくれる人のこと

 

私は見た目が優しそう・ちょろそう・弱そうに見えるようで

舐められたり、優しさに飢えているタイプに擦り寄られたりすることが少なくない

 

なので、知り合った相手が「そういうタイプ」かどうか早めに判別するようにしている

過度な察しへの期待をちらつかせたり、二者関係の密接さにこだわり始めたりするのが

この「愛想を喰い散らかす」タイプが見せる兆候の一部で、

 

・仕事や用事があるときを見計らって連絡をよこす

 「他人より優先してもらうミッション」

SNSなど公的でいろんな人が見る場所で関係性をちらつかせる

 「俺ら密接アピール」

・寝るような時間に連絡をしてきて

 「悲しいことがあったから」といって相談をもちかけてくるが

 実際はただ話し相手と愚痴の吐き出し場所が欲しかっただけ

 つまり雑談をされる

 「お前の時間はいくらでも消費していいものという認識」

 

ほかにも山ほどあるが、こういうアウト行動を堂々と取られたら

もう不快な人間だというレッテルを貼る

 

これについては、自分を守るためなので手心を加えない

罪悪感もないし今後の相互理解もない

「過剰に甘える」「他人への要求が大きすぎる」

「自分と他人の区別がつかない」人たちとは絶対に仲良くなれない

 連絡は無視、顔を合わせても必要最低限のことだけ話すようにする

 

彼らはそれに感づくと

すごい勢いで「なぜ」「どうして」と問い詰めて来る、必ず

 

そもそも深い仲ではないので、こちらは声を荒げて喧嘩してまで

その悪癖を立て直そうとは思わないのでただひたすらごまかし

場合によっては他人の手も借りて距離をあけていく

 

真に優しい人なら頑張って更正させようとしてくれたかもな?

でも少なくとも私は無理

 

少し他人のことに言及するとしたら

誰にでも優しさの在庫はある

みんな在庫があるうちは優しくしてくれるでしょう

優しさが在庫が尽きるのが早いか遅いかそれだけのことで

 

私も疲れたり、精神的に消耗したりしている時、

優しさの在庫がある程度尽きてきている時

それでも誰かに優しくしよう

少しくらい自分が磨り減っても良いから…と思うことはある

でもそれは「私が自然に思った時」だけ

そう思えない相手が大声でゴネ倒したからといって

「じゃあいいよ」と自分をすり減らして優しくし続けたら、際限がない

 

自分の優しさの在庫を管理し、適切に取り扱うことで

自分自身が充実して、優しさの在庫を多く置いておけるようになったと思う

誰かの優しさを無限に欲しがる人にはその人なりの事情があるんでしょう

残念ながらそれに付き合ってると私自身がなくなってしまうので

二度とそんなことはしないっつーかお前らゆるさねぇからな

器がでかくないんだよ すまんね